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「事務所に入らなきゃ声優ナレーターにはなれない」という愚かな考え方は今すぐ捨てた方がいい。

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ワンルームから世界へ
声を届けます。
New Style Voiceover

新型コロナウイルスで世界的に進んだ
各業界でのDXとリモートワーク。
ナレーション業界も例外ではありません。
片岡晟はこのグローバルトレンドを先取りし、
既に自宅収録で国内海外の世界的企業へ
ナレーションを提供しています。
Google, Amazon, Apple, Microsoftなど…
各業界、各国の世界最大手から
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あなたも世界トップレベルのナレーションを
経験してみませんか。

暖かく寄り添う
お日さまボイス。
Sunny Voiceover

「お日さまに成る」と書いて
「晟」と読む太陽系ナレーター。
明るくぽかぽか寄り添う声で
あなたのメディアを照らします。

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Worldwide Voiceover

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「事務所に入らなきゃ声優ナレーターにはなれない」という愚かな考え方は今すぐ捨てた方がいい。

こんにちは、顔面縦横無尽ナレーターの片岡です。

今回は、僕が今なぜフリーランスのナレーターとして活動しているのか、経緯を書いていきたいと思います。

フリーランスという仕事の在り方全てに共通するかもしれないです。

フリーランスに興味ある会社員の方などは読んでみるといいかも。

結構な長さになるので、布団でゴロゴロして鼻くそでもほじりながら読んでください。

 

人と同じことをするのが「怠惰」だと思っていた

 

僕は中学、高校、大学とエスカレーターで進学しました。

中学受験をして以来、一般的な日本の高校、大学の受験方法や仕組みなどをまるで知りません。

内申点?センター試験?僕にとっては都市伝説レベルです。

人との会話で受験のことが出て来ると、全然話題についていけないので僕は受験コンプレックスです。

まあこのときくらいしかコンプレックスは抱かないので全く気にはしていないのですが。

 

とまあそんなことはどうでもよくて、

大学に進学するときも、高校の推薦試験をちゃちゃっとやれば割とほとんどの生徒が進学できたのです。

ところが僕は生来のひねくれ者でして、

「他の人と同じ生き方なら死んだ方がマシだ」

という、スーパーねじれてる性格の持ち主でした。

マジョリティー(多数派)に甘んじているのを怠惰だと思っていたのです。

思っていた、というか今でも思ってるのですが、昔はもっとラジカルだった気がします。

他の人がマジョリティーに属しているかどうかについては全く悪く思いません。

その人にはその人にしかできない役割があるからです。

もっと言えば、マジョリティー(多数派)という存在無しにはマイノリティー(少数派)という存在は有りえません。

意見や生き方、物事の選び方や将来の理想像など、多数の人が選んでいるその道を僕個人が歩む理由はない。

というのが僕のスタンスです。

僕にとってはそれって思考停止だし人生の怠慢だしクソつまんない人生。そう信じ切ってたんです。

それに元々アメリカの大学に行きたくて受験勉強していた(アメリカ受験の経験はあるんです)のもあって、

推薦試験は一応流れで受けて、アメリカの大学にもし落ちてもみんなと同じように推薦では進学は絶対にしないつもりでした。

 

そしてアメリカの大学に見事落ちます。

言い訳すると、英語力は足りていたんです。

アメリカの大学に提出する、大学受験のためにアメリカの高校生が受けるSATという試験があるのですが(TOEFLみたいなやつ。TOEFL受けたことないからわかんないけど)、

そのスコアは合格点に届いていたのでした。ただ、高校の成績がちょっと足らなかったのです。。

 

こうして僕の高卒人生が始まることになりました。

 

と思っていたのですが、、、

流れで受けた推薦試験。当然これには合格していたのですが、

僕はとにかくこんな簡単な手続きで大学に進学するようなことはしたくありませんでした。謎の使命感。

なので堂々と「僕は進学しません!」と宣言していたのですが、

後日、親と一緒に学校に呼び出されました。

なにやら、先方の大学との信頼関係が崩れるから、推薦試験を受けて合格した以上は進学してもらわないと困る。

とのことでした。

そんなこと一切聞いてない。

今更そんなこと言ってくんじゃねーよと思いながらも、

親を困らせるのも嫌なので、ちょっとだけ反抗してあとは先生方に従って進学しました。

 

モチベーションも何もない中で見つけた自分の武器

 

進学したのはいいものの。当然大学に通うモチベーションもなければ、勉強したいことなど見つかりません。

僕は教育学部に進学しました。そこにはクラスがあり、みんなで教職課程の授業を受けるのですが、

もちろんそんな気力もなく、クラスからも孤立していきました。

みんな僕と仲良くなろうとしてくれるのですが、授業も被らないし一緒にいる時間もそんなにないし、

何よりそんな自分が惨めでみんなの優しさが逆に辛くなっていったのでした。

 

「はあ、流れで大学に入っちゃったけど、全然やりたいこと見つかんないや」

高校の頃の友達が大学に行ってもたくさんいました。

そしてそのいろんな友達が、めちゃくちゃ意識高い夢を持ってるのです。

「国連職員になりたい」「カンボジアに学校を作りたい」「外交官になって世界の平和に寄与したい」

こんな友達ばかりでした。そして何を隠そう、僕もそんな意識高い組でした。

アフリカ地域に学校も作りたかったし、得意の英語で世界中を渡り歩いて平和の架け橋を渡したい、

そういったことを本気で考えていました。

今でもぼんやりとできたらいいなと考えてます。

大人になってその理想との遠い距離が見えてきて後回しになってはいますが笑

 

しかし海外大学への挫折、意図しない進学、と自分のあらゆる気力をなくした場面に立ち会って、

そんな青写真もガラガラと音を立てて崩れ去り、

僕はもう一生海外には行かない!とひがんだ時期もありました。

 

なりたい目標、目指したいものがない毎日は空虚です。

大学にやっとの思いで通い(片道2時間!)、友達もいなく1コマ2コマだけ授業を受けてまた独りで帰る日々。

何も楽しくありませんでした。

中には楽しい授業もありました。いい出会いもありました。

ある授業の中で出会った本がきっかけで江國香織が好きになったことは、数少ない、大学に行ってよかったことの一つです。

 

それでもやっぱり、自分のこれからのことが不安でした。

取るべき授業がどれなのかもよく分からない。めんどくさくて大学に行かない日も少なくない。

こんなんじゃ卒業も無理だろうな、これから自分の将来どうなっていくんだろうなー。

 

と思っていたある日。数少ない友人と大学で昼飯を食べていた時でした。

何でそんな会話の流れになったかは全然覚えていないのですが、友人がこう言ったのです。

 

「片岡って、いい声してるよね」

 

特に自分の長所もよく分からず、自分は何が得意なんだろうなーとモヤモヤしていた時期です。

友人にこう言われた時は特に意識せず「そっかなあ。えへへ」となんちゃって照れ顔を披露していたのですが、

このくらいから急に周りから声を褒められることが多くなりました。

その頃から「自分の良さって、声なんだ。自分の声って、いいんだ。」と意識するようになりました。

 

どうせ仕事をするんだったら、自分の好きなこと、得意なことを仕事にしたい。

日頃からこう思っていた僕は、声の仕事というものを意識し始めます。

仕事というものに関しても、「人と同じことをするのは人生の怠惰だ」と僕なりの人生哲学を掲げていたので、

大学に入った当初から「就活をして企業に入ってサラリーマンとして社会人デビュー」するつもりも毛頭なく、

でもサラリーマンじゃない仕事の仕方って何だろうなーと思っていた時期でした。

この、自分の得意なこと×人と同じじゃない生き方=声の仕事という構図が見事にハマり、

僕は声の仕事をするんだ!と決めました。プロローグが長かったこと。

 

とりあえず声優の養成所に入ってみた

 

それまで声優やナレーターなど、声を使った仕事を全く意識したことがありませんでした。

アニメにも興味がなかったし、テレビ番組もそんなにみない。

よくそれで声の仕事を生業にしようと決心したものです。

 

でもやっぱり大学生って深夜によくアニメとかみたりするじゃないですか。わかんないですけど。

僕もYouTubeとかサーフィンしてるうちにアニメのMADとかを見るようになり、

そこからいろんなアニメにハマり始めました。

涼宮ハルヒの憂鬱から始まり、けいおん!、とらドラ!など、、、

とにかく当時のクールのアニメを見まくりました。そしてそこで初めて声優という職業を詳しく知りました。

ちょうど僕も声優になりたかったとこだし、ちょうどいいや!

と声優のなり方を検索しました。

専門学校に入る、養成所に入る、事務所オーディションを受ける、、、

色々あるのですが、一番手っ取り早かったのが、養成所に入ることだったんです。

養成所だったら、声優事務所直営のところがいっぱいあるし、勉強しながら事務所所属を狙える。

見事事務所に所属できたら、仕事をもらえて晴れて声優デビューだ!!!

今考えるとメチャクソに甘すぎて瞬時に全ての歯が溶けるレベルの考え方ですが、

大まかにも声優のなり方が見えた僕は、調べた中で一番安かった養成所に入り、声優への道を歩み始めたのでした。

 

声優志望多すぎて甘すぎる考え死亡

 

一番安い養成所ということは、一番人数が多い養成所ということでした。

みんな考えることは同じです。取るリスクは最小限に抑えたいものです。

その養成所は全国から声優志望者が集まるところでした。

全国にその養成所の校舎があるのにも関わらずです。みんな東京校に集まってきました。

昔ある記事で読んだのですが、一説によると声優志望者って全国に30万人以上いるそうです。

全然人とは違う生き方じゃないじゃん!!!!

目指し始めて知ってももう遅い。少なくとも声の仕事を意識し始めた時点では周りに声優を目指すなんて奴は一人もいなかったんです。

まあでも声優の勉強を始めて結構楽しくやってたので、このまま声優になりたい、声優として生計立てたいなーと思いそのまま養成所には通い続けました。

 

しかし、声優業界でもマンモス校なうちの養成所。事務所に所属することなんて簡単なことじゃありません。

全国の校舎を合わせたレッスン生は、推定およそ数万人。

そこから毎年事務所試験に合格する人数は20人ちょっとでした。

しかも事務所に入ったからといって、仕事がどんどん舞い込んでくるとも限らない。

声優業だけで生きていける人は100人ちょっとなんて声も聞きます。

 

声優になるのって、甘くなかったー!!!

見事に幻想を打ち砕かれました。

 

声優より、ナレーターの方が向いてるかも

 

結局5年間その養成所には通ったのですが、事務所には所属できませんでした。

でもいっぱい声の演技について勉強できたので、全然後悔はしてません。

むしろ行ってよかった。そう思えるような、人との出会いもいっぱいありました。

 

その中の一人が、5年目最後の担当講師の方でした。

この方はこの養成所内でとっても厳しい講師として噂になっていて、

でもその分レッスン生の成長も大きくて事務所所属者もたくさん輩出している、という有名な講師でした。

いつかこの方に当たってみたいなーと思っていたのが、5年目で当たったので内心とてもワクワクしていました。

 

5年目のレッスンが始まりました。噂通りの厳しさ。

でも楽しい場面もあって、メリハリが効いていて僕は好きでした。

面白いものは面白い。つまらないものはつまらない。

その講師の方の指導基準はわかりやすいものでした。

僕自身その方の声優俳優としての「在り方」に憧れていたので、

その方の判断基準が僕の判断基準になっていました。

 

*  *  *

年度も終わりに近づき、もうそろそろこの養成所も卒業だなーと思っていた頃。

とある作品を題材にお芝居のレッスンを受けていた時です。

十数人のクラスメイトがオーディションを受け、

それぞれにあった役柄を講師が決めてラジオドラマを作る、というレッスンでした。

みんな思い思いのセリフを発表してオーディションを受けるのですが、どんな結果になるかは全然想像がつかなかったのでした。

そこで僕が選ばれた役の一つが、物語の進行を務める「ナレーション」でした。

僕以外の演者は2人。しかもその2人は、講師の方の元教え子で、助っ人として来ていただいていた今大活躍中の男性声優だったのです。

こっちはペーペーの声優の見習いです。この大先輩2人の演技をナレーションするなんてできるのか、不安でしたし緊張もしました。

緊張したなりにも、講師の方のナレーションの節回しを真似したりして、色々工夫してみました。

そしてある時、講師の方がこう言ってくれました。

「こういう風に喋るから、あきらのナレーションは聞いてて心地いいんだよ」

ものすごく嬉しかったのを覚えてます。

あまりレッスン生の演技を褒めない講師です。その講師が僕のナレーションを褒めてくれた。

そこから僕は、ナレーションというものについて考え始めました。

5年間通い続けて、僕は事務所に所属できなかった。

僕は声優の演技というのは下手なのかもしれない。

この事務所にあった自分の売り込み方もあまり想像できない。

ならば同じ声の仕事でも、声優じゃなくて、

講師の方も褒めてくれたナレーションでなら、自分も生きていく道が見つかるんじゃないか。

よし、ナレーターを目指そう。

こうして養成所を円満卒業した僕は、ナレーターを目指し始めました。

事務所になんか入らなくたって、声の仕事はできるんだ!

 

ナレーターになるために、今度はナレーションの学校に入りました。

正直前の養成所を卒業する1年前くらいから、

そもそも本当に事務所に入らなければ声優、ナレーターにはなれないのか?

と疑問に思っていました。

そして養成所を卒業後、とあるナレーションスクールをネットで見つけました。

「自立したナレーターを目指す」「事務所にぶら下がらないナレーターを目指す」

がそのスクールのモットーでした。これだ!!!と思いました。

事務所に入って、事務所に入ったことに満足してしまって、入ってから何も動かない。

自分のスキルや努力をアピールしないで仕事を振ってくれないマネージャーの愚痴ばかり言う。

正直そんな声優やナレーターもいっぱいいます。

 

僕は事務所にも入れなかったクズだけど、じゃあ自分で仕事を生み出せる声優ナレーターになればいいじゃん!

 

そう思った僕は、養成所にいながら自分でネットなどで小さな仕事を見つけては声優ナレーター業をしてました。

ホンッッッッッとうに小さな仕事ですけどね!!!!!史上最低ギャラ500円!!!!!!!!

それでも自分で仕事を取って、自分の声で喜んでもらえて、お金をもらう、という経験はとても貴重でした。

この延長線上の果てしない先にきっと、「声の仕事で生きていく」という未来があるはず。

事務所に所属していなくても、フリーランスでも声優ナレーターはできる!

こう確信しました。

そんな時に出会ったスクールでした。まさに運命でした。

 

事務所未経験のフリーランスナレーターが世界で活躍する未来

 

僕は今もこのスクールに通いながら、フリーランスのナレーターとして活動しています。

フリーランスのナレーターとしてどう活動するべきか、どう営業するべきか、

そういったことも教えてもらいながら、僕なりの工夫も加えながら試行錯誤の毎日です。

僕みたいに、一度も事務所に所属したことがないナレーターというのは珍しいみたいで、

ほうぼうで「すごいですねー!」なんて声をかけてもらいます。

それですら珍しいんだから、

一度も事務所に所属したことがないフリーランスナレーターが世界で一番有名な日本人ナレーターになる

ってことが起こったら「珍しい of 珍しい」 でスーパー面白くないですか??

これを僕は実現させたいです。全然不可能じゃないとおもってます。絶対やってやります。

 

*  *  *

 

長くなりましたが、以上が僕が声の仕事に興味を持ってからフリーランスナレーターとして活動し始めた経緯です。

事務所になんか入らなくったって、会社になんか所属しなくったって、好きな仕事はできる。声の仕事はできる。

自分で見つけた自分の武器、迷いながら、もがきながら見つけ出した自分の宝を磨き続けていれば、必ずそれは自分だけにしかできない、最高の仕事になる。

みんなに知ってほしいし、これからも僕は僕の活動を通してそれを証明していきます。

以上、顔面フリーダムナレーターの片岡晟でした。

 

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