【*個人的なメモの共有です】
議論ができる人、できない人の違い。
●議論ができる人
議論テーマにおいてシンプルにお互いの発言の背景がすれ違っているパターンにおいて
→これは単純に悲劇なので、発言の背景をお互い説明すると建設的な議論に戻れる。
そしてそれを説明できる人は優しい。
「発言の背景が違うな」と覚える感覚を持っている、発言の背景を説明できるのは大局観を持ってる人。教養がある人。
教養があると人に優しくなれる。
逆に教養がないと無自覚に人を傷つける可能性が増える。
議論ができる人は教養がある人(つまり優しい人)。
だから教養がある人は大好きだし、自分ももっと教養を身につけたい。
●議論ができない人
論破することが議論の最優先事項だと勘違いしていて自分が追い詰められたと勘違いした時に相手の「人格を攻撃する」行為
→史上最悪の行為。優しくない。暴力。
素養が乏しいので自分を守るために相手の人格を攻撃するしかない。金輪際付き合わないようにする。
議論できない人は教養がない人(優しくない人)。
意見がぶつかったとしても、意見と人格と人的背景を区別できるような教養ある優しい人と付き合っていきたい。
●まとめ
議論ができない人=教養がなく優しくない人
議論ができる人=教養があってめちゃくちゃ優しい人
教養がある≒想像力がある
「教養がある」というのは単純に「たくさんのことを知ってる」ということもそうだが、
「自分が知らないことがもっとたくさんある。もっと知って現象を様々な切り口で見られる視座を養いたい」
という知的好奇心の余白を常に用意している「素地」に対してのニュアンスが大きいかもしれない。
発言の背景というのが新鮮で
最近語彙力を鍛えたいと本を読み漁っていましたが
文章が端的だったりして
とても響きました。
参考にした本とかあるんですか?
あるのなら、是非紹介頂きたいです
海外進出、私も目指してます。
応援しているし、参考にもしています。